中国語の歌を覚えてる時に思った事

すみません、今日は普通にほろ酔いの戯言です。

 

あの、突然なんですけれども、学校の勉強って意味があると思いますか??

義務教育とか高校とか、大学とかでやってきた勉強っていうのは、
今までの人生、今後の人生に役に立っていると思いますか??

なかなかYES or NOで言える内容ではないから難しいんだけれども、
わたし個人としては結構「YES」よりなんですよね。

 

最近、とある台湾の歌を覚えました。
中国語は全くわからないので、丸暗記の世界です。

でもなんとなく「覚えたいな~」って思ったから、
歌詞と読みがなをプリントアウトして、それをずっと持ち歩いて眺め続けました。

移動中もずっと曲を繰り返して聞いてました。
お店で作業したり掃除したりする時もずっと一緒に歌ってました。

他人からしたらコレは「覚えるためにめっちゃ努力している人」に見えるかも。

 

僕、古典と漢文っていう授業が大嫌いだったんですよね。
なんか凄く効率が悪い様な気がしてしまって。

モチーフの内容を楽しむならば現代文で読めばいいじゃんって思うし、
なんか気合い入れて覚える労力に対して、見合う楽しみが少ないなぁって感じたんです。

これらの言葉を読む努力をするくらいなら、違う事に使ったほうがいいなぁって。

だから、英語の授業は凄く好きでした。
英語ができたら自分の世界がめちゃくちゃ広がるだろうなぁって想像できたから。

 

わたしは多分、「やり方」が上手なんだと思います。

そんなに賢くはないけど、「覚え方」とか「理解の仕方」を知ってる。
アレを達成するためには、何をすればいいかがわかる、みたいな。

 

コード進行が覚えられない、歌詞を覚えられない。
そういう人って結構いますよね。

違う路線で言えば。

人の名前が覚えられない、人の顔が覚えられない。
そういう人も結構いますよね。

 

でもわたしは思うんですよ。
「できない」って胸を張って言えるほど、頑張ってるのかな。

 

わたしの、とある知り合いの話。

「自分は全然人の名前と顔が覚えられないんで、
初対面の人と会った時はテンション高めに自撮りツーショットして、
その人の名前の画像を保存してファイリングしてるんです。」

初めてこの話を聞いた時に、「ああ、そういうのマジわかる」と思いました。

 

「覚えられない」って、言い方が難しいんですよ。

「覚えようとしてない」に通じることもあるし、
ナチュラルに「頑張ってるのに覚えられない」っていう場合もあるし。

でも大半が「覚えようとしてない」だけだと思うんです。

 

人の名前も、コード進行も、歌詞も、セットリストも、
「ちゃんと覚える努力」をすれば「覚えられる」事ばかりだと思うんです。

「覚える気がない」を「覚えられない」で片付けるのは簡単。

でも、周りの人は気づいていると思います。

「ああ、この人、やる気がないんだな。」って。

 

学生時代、あんまり成績の良い方ではありませんでしたが、
単純に自分の時間を学校の時間に使わなかっただけです。

ギター遊びと、音楽遊びと、ゲーム遊びと、友達遊びに使ってました。

「ここに自分の時間と労力を使おう」って矛先を決めたら、
結構色んな事ができる体質だと自負しています。

それはなぜかというと、
学生の時に「やり方の覚え方」を理解したからなんじゃないかと思います。

 

学校で勉強した内容の結果は多分そんなに意味がないけれども、
「勉強の仕方」を覚えられる事にはむちゃくちゃ意味があると思う。

「努力の仕方」を本能だけで築けたら最強かもわかんないけど、やっぱり無理。

だから、どうやって努力をするのか、勉強をするのか、練習をするのか。

結果よりも経過が大事っていうのはそういう意味なんだろうなぁと。

 

 

おわり。

 

来年は北京語を覚えたい、なんて思っている今日このごろ。

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