東日本大震災が起こったのが丁度4年前。
2011年3月11日の出来事。
気が付けば4年も経ってしまったのか-、とちょっと思います。
幸い僕が住んでいる地域は計画停電があった位で大きな実害は少なく、
普段の生活をしている上で震災の事を思い出すきっかけは正直多くない。
飲みの席なんかで過去の話をしている時、
「そういえばあの時何してた??」と話題にする位なんだけれども、
僕の近場で暮らす人も恐らくそんなものかと思います。
だからといって別に忘れてる訳じゃないし、何も学んでない訳でもない。
なのでこの日に誰かがツイートしたりブログを書いたりするのは良いと思う。
「そういえばこれこれ、こんな事があったな」と少し思い出すきっかけが
1年に1回あるかないかだけでも大分違うかなと思うのです。
てなわけでテレビでもさんざん話題にされてますし
既に多くの色んな方々がブログに書いたりしておりますが、
僕も僕でツラツラと思ったことを書いてみようかなとなった次第でございます。
もちろん自分のためでもあります。
最後に僕が被災地を訪れたのは去年の11月末。
長くなるので経緯は書かないけれど母親が相馬市の近くに住んでいるので
2~3日間、福島周辺でフラフラしておりました。
「被爆しに来ました~。」というと
大抵の人が「まーたっぷり味わってけ~。」なんて言ってくれます。
「まーこっち来たからにはじゃんじゃんお金使うしかないっしょ!!」と
あらかじめ福島で散財する予算を決めておいて買い物したり遊び行ったり。
神奈川の感覚で行くと震災の爪痕がそこら中に転がっている事にとにかく驚きます。
やれ除染だの、説明会だの、健康被害だの、手当がどーの、誰が引っ越す引っ越さない。
母が住んでいる所はすんごーーーーく山奥中の山奥で
福島の人でも「あーそりゃ山奥だ。」と納得の山奥クオリティ。
国道4号に出るためには信号も無い畑が広がる山道を
30分ほど車でかっ飛ばす必要があります。
そんな山道で毎日見かける光景が除染作業。
土の表面をすくってその土を別の場所に移動させるという作業を
作業員の皆さんがコツコツやっているのです。
現地の人の話を聞くに、除染作業の人は県外から来られる男性が多く、
日当から更に除染作業の手当が支給されるのでかなりお金になるそうです。
「除染作業」と検索すると求人、募集、資格、所得などが関連でザッと上がるので
ある意味では人気の職種になっている事がわかります。
まぁ日当にプラスして8000~1万円の手当が支給されるので
月額の給料としてはかなりの物でしょう。
じゃぁ県外の人が福島市に来て除染作業をして沢山お金をもらって
何に使うのかというと競馬(福島駅近くにJRAがあります)だったり、
夜の街に繰り出す事だったりするそうです。
福島駅近くのキャバクラに行っておねーちゃんに話を聞くと
除染作業の人が近頃ますます増えてきて
夜の街業界は今かなり豊かだそうです。
でも正直素行のよろしくない方も多く、
「作業着のお客さんお断り」、つまり除染作業員はお断りと
入り口に看板を出すお店もちらほらあるそうです。
まー確かに自分の意志といえども
なじみの無い土地に来てお金を沢山持ったとしても
ちょっと心もやさぐれて来てしまう物なのかなとも思います。
現地にお金を落とす事は良い事かと思うのですが、
「普通に働くよりキャバで働いた方がええやん。」っていう若い子が
どんどん増えてしまうのもなかなか難しい所だなと思いました。
現に話を聞いたおねーちゃんは二十歳そこらで
お昼は普通に働いていると言ってたのでそういう事なのでしょう。
除染作業、解体、その辺りの業種はかなりバブルで
現地の話を聞いたり山道をコツコツ除染作業している所を見るに
向こう10年くらいは続きそうだなと感じました。
つまりホントの意味での復興、元通りの状態は遠いという事です。
避難勧告区域の小学校では1学年2~5人が当たり前みたいで
全校で集まっても20人弱。場所によっては一人もいない学年もあるそうです。
職員さんももちろん人数は少なくなるわけで、
校長から事務の人や栄養士の人も含めても全体の職員が10人未満。
2つの学年を一人で担当する事もあるそうです。
人伝いで聞いた話なので少し曖昧な所もありますが
現場の方達の苦労や葛藤は尋常じゃないと思います。
それでも「逆に少人数だからこそ学校全体の団結に繋がり、
きめ細やかな教育や指導が出来る」と前向きにとらえる方も多いそうです。
確かに1クラス35人だったら意識をしていたとしても
1日の中で挨拶しか会話出来なかった子も出てきそうですもんね。
そういった意味では豊かな教育を受けられるチャンスは多いのかも知れません。
人が少なくなった理由は市外、または県外への避難以外の何者でもなく
それらは決して責める事が出来る物でもありません。
仮に僕が家族を持っていて同じ境遇に出会ったとしたら
かなり早い段階で県外への引っ越しを決断すると思います。
それでも現地に残って頑張っている職員さんや
成長している子供達の笑顔なんかを見てみますと
(小学校から配られるおたよりを見せてもらいました)
なんとも言えぬ感情がグッと来ました。
小さな商店が連なっていた商店街に閉店が相次ぎ、
どんどん小さくなっていく様子も実際に見てきました。
現地の歪みは小さくなるどころか大きくなっていると感じました。
人がいなくなるという事はこういう事なのかと
理屈ではわかっているけれども、実感するとなるとちょっと話は違う。
福島駅周辺の楽器屋さんも元から少なかったのに
更に少なくなってておぎゃーとなりました。
僕としてももっと世の中にギタリストを沢山誕生させて
福島駅周辺の楽器屋さんを盛り上げねばと割と本気で感じました。
このまま行くと福島で楽器が買えなくなる日がマジで来そうで怖い。
某Aマゾンや某Sウンドハウスでしか楽器が買えないなんて寂しいじゃんね。
多分その辺が僕が一番大きく貢献出来るポイントかなと。
2~3日間だけといえども福島の暮らしはビックリするぐらい暇で
毎日朝のニュースを眺めるというここ10年くらいには無かった習慣を過ごしましたが
天気予報は天気と気温だけでなく、各地の放射線量も放送している事に驚きました。
ニュースの中では東電の人による記者会見や手当の会合、
復興の手立てなどの話題を放送している場面も多い様に感じました。
(僕がテレビを見ないだけで神奈川でもよく放送しているのかも知れませんけど)
あと「マッサン」がとんでもなく面白くてビックリしました。
こんな事を言うと「不謹慎だ」とかそういう事になるのかも知れませんが
やっぱり現地を何度訪れても復興はむちゃくちゃ遠いと感じます。
福島近辺の過剰な過疎化もそうですし、
6号線、4号線沿いの津波被害も実際目の当たりにすると尋常じゃないです。
迂闊に「頑張って」とか言えないなと思う位に被害は大きいと思います。
目に見えない被害って凄い怖いなと僕もやっぱり思っちゃいます。
こういうとまた語弊があるかも知れませんけれども、
この季節って「復興なんちゃら」とか「支援なんちゃら」っていうのが多くなります。
それに対してネガティブな意見を言う人も多い様に感じます。
「復興の意味をわかってんのか。」とか「宣伝材料として掲げてるんじゃないの??」とか。
確かに日本人特有のお祭り気分とでもいいますか、
例えてみるならバレンタインやホワイトデー、クリスマスみたいな年間行事の如く、
意識高いアピールを多く見かける事に対して違和感は感じます。
でもだからといって不謹慎とか自粛という単語を使ったり、
触れてはいけないタブーとするのも違和感を感じます。
こないだ盲目の人の話を聞いたときに
「良い意味で無視してくれるのが一番楽だし嬉しい。」と仰ってたのが凄い印象的でした。
なんていうんでしょ、普段通りが一番良いのかなと思うのですよ。
例えば僕が逆の立場だったら無理して応援して欲しくもないし、
まぁ近くに来る事があれば遊んだりお金使ってくれればOK。
そっちはそっちの暮らしがあるだろうから変に萎縮せず普通に過ごしてくれ。
っていう風に多分感じると思うのです。
まるでクリスマスイベントの様に開催される支援を銘打ったイベントに対しても
嬉しいと捉える人がいても良しとしない人はそんなにいないと思うんですよ。
良しとするか、そもそも興味が無いかのどちらかだと思うのです。
という訳で僕としては「普通に過ごす」ってのが一番かなと思ってます。
いつも通りに仕事をして被災地の方まで影響が出るくらいに活動をして、
もし被災地の方に行ける機会があったらちょっと多めに現地でお金を使って、
年に1回くらいはこうやって自分の体験や思ってる事をチマチマ書いて、
たまに思い出したように「あ、募金しよ。」って気分になってみる。
数ヶ月に1回くらい保存食やお水、防災グッズなんかを確認して
解凍すれば食べられるおかずとか小分け冷凍とか
電気が無くても食べられる食事を多めに用意しておく。
そりゃもう近所に配れちゃうくらいにおかずを作っておくのさ。
幸い僕の家の冷蔵庫は家族サイズなので冷凍庫も大きいし。
時間的に余裕があればもっとやりたい事はあるっちゃある。
けれど短絡的に考えすぎて無理をしてもあまり意味が無い。
なのでこんなブログを書いて明日からもまた同じ生活を続ける事にします。
おやすみなさい。
っていうか0時くらいから書き始めたのににもう朝やん。
まぁいいか。
コメント
今年も東北巡業頑張りましょう!そして北海道まで足を伸ばしましょう!!ついでに旭川で盛り上がりましょう!!!「ギターでつながるたきじゃわの輪!」!(^^)!
4年かぁ…
早いですねぇ。
あの津波の映像には衝撃を受けましたね。
震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
自分は中1の時に阪神大震災を食らいましたが、当時、団地の12階に住んでいたので、揺れがハンパなかったですよ。笑
揺れながらも、
「こら団地折れたな!あぁ、俺の人生も終わりかぁ。
来世は金持ちのぼんぼんに生まれたいなぁ…」
とかいろいろ考えてたのを覚えてますね。笑
ニュースなどで震災の事がやってると、ちょっと貧乏してるけど、大好きな嫁さんも子供もいて、毎日あったかいご飯もちゃんと食べれるし、俺は何て幸せなんや。と改めて気付かされます。感謝です!
親父が除染作業で福島へ行ってますが、危険手当を除くと、なんじゃこりゃ!の金額ですね。
でも、このご時世、いい年の方々は仕事も無く、除染の仕事に来るのだそうです。
ろくでもない人が多いて言うてましたけど。笑
「隣で寝てるおっさんの足めっちゃくっさいんや!」
とぼやいてました。笑
初めてブログを見させていただきました!
この4年で、思うことは人それぞれだと思いますが、私もなにか出来ないものかと考えることもありました。
ニュースなどから沢山のことを知るほどに、現地で動いてる人に比べると何ができているのか、そんな風に思っていましたが、このブログを見させていただいて自分のいる場所で自分の出来ることをすることがいつか人と人との繋がりの中で活かされる日が来るかもしれないですね(^_^)
ありがとうございました