生きていると

本日は厚木AIMの吉岡さんにお呼び頂いて
映画の上映+ライブというイベントに参加しましたです。

「純愛」という1945年終戦直後の日中をテーマにした
平和を願うメッセージが込められた映画な訳ですが。

その中でも「生きてるってなんだろうか」とか
「人とはなんだろか」、「平和ってなんだろか」と
そういった割と壮大なスケールが描かれている内容でした。

ライブが終わった後、アフタートークで2~3分喋る時間がありましたけれども、
実はこの辺って自分がよく考えている事な訳で
とてもじゃないけれども2~3分で色んな思いが収まる訳がない。

てな訳で、ブログにまとめてみる事にする。
「そんな考え方もあるんだな」と思って頂けたら幸いです。

 

映画とかドラマとか、小説とか漫画とかで戦争の話はよくみる。
今では考えられない程に悲惨な事や散々たる事、
とても言葉には出来ぬ程の先人の苦悩や不幸、
数で言ったら何万人、何十万人、何百万人という人が犠牲になって
いってみればその犠牲になった人達の希望の上に僕らは生きている。

今では普通に享受している衣食住や経済や平和、
これらはほんのここ数十年の出来事で今に繋がってたりする。

ふと、思うのは。

そういった色んな人の希望が実現した今の現代において、
自分は胸を張って「生きている」と言えるんだろうか、という事。

「未来の子供達、全ての人達がが安心して平和に暮らせる様に」と
先人達は未来を紡いでいって下さった訳だけれども、
その恩恵を受けるだけの資格はあるんだろうかとたまに思う。

 

映画は全編にわたり、中国本土が舞台。
日本が敗戦を宣言した直後、中国に住む日本人が行き場を失い、
各方面で「日本人にひどい事をされた」と中国人から手痛い仕打ちに遭って
「僕らは軍人じゃないんです。」と弁明しても
中国人からしてみれば「日本人」というカテゴリだけで
十分に憎い要素は満たしてしまっている訳で。

今、自分らの目線からみると
「軍人じゃない民間人に仕返しをするのはお門違い」と思えるけれども、
当時の流れで行くと別にそれは変な事でもなんでもなくて
「日本人への恨みを晴らす」という意味では正義になっちゃってるんさ。

こうやって時代や人種、立場が違えばそれぞれの正義が存在して、
本当に正しい事、悪い事、許してはならない事ってのは随分変わってくる。

 

例えば日本で8月15日は終戦記念日だよね。

でもアメリカとかだと8月15日はVictory Japan Day。
「アメリカが遂に日本に勝利した記念日」という扱い。

「戦争は良くない、争いは良くない」と日本では戦争の悲惨さを語って
もうこんな事は起こらないようにと言う意味で「終戦」と名前を付けてるのに、
向こうからしてみたら「遂に俺らが日本を負かした日だぜ!!」となってるのは
「おお、なんかすんげぇ文化の違いがあるな・・・。」と思いませんか。

 

凄く大事な事は「許す事」なんだと思う。

アメリカで「Victory Japan!!」と日本人を揶揄して騒がれても
「てめぇこの野郎」ってなっちゃうと同じ事の繰り返しだから、
「そうだね、そんな事もあったね。」とお互いに許し合う、というか。

許さない、認めない、そんな姿勢からはあんまり物事は進まない。
「これからどうするか」という未来から目を背ける事は
あまり良い事だとは言いにくい、ってのはなんとなく誰でもわかる事。

 

そして今、自分に出来る事といえば。

 

あ、お風呂入ってきます。

続きは明日、、、かな??

 

良ければ思う事をバシバシコメントしてみてくださいませ。
割とちゃっかり読んでます(笑)。

 

とりあえず、今日はおやすみなさい~。

コメント

  1. circle2 より:

    今、人類の過度期に差し掛かっているんだと思います。色んなテクノロジーが進化して、情報伝達技術の発達もめざましく、今まで距離だとか時間の制約などに依ってつかがる事が困難な人ともつながる事が可能になりました。せめてこの文明の利器をネガティブ(攻撃 中傷)にではなく、いかにポジティブに活かせるかが(相乗効果 許し合う認め合う)試されている気がしてなりません。
    ご活躍応援しています!

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