戦争はよくない

よく自殺防止のポスターとか注意喚起でこういう文言が出てくる。

「君が生きている今日は、誰かが生きたかった明日だよ。」

言わんとする事はすごくよくわかる。

近頃も高齢者自動車運転事故だったり大津の保育園児事故だったり、
はたまた病気や突然死なんかで亡くなる人はどうしても一定数以上いる。

その人達は死にたくて死んだわけじゃなくて、
普通に明日が来ることを信じて、期待して、毎日を生きてた。
でもそれが何かしらの理由で無念ながらも幕を下ろしてしまった。

だから自分で命を絶つなんて馬鹿らしい、もったいない。
期せずして死んでしまった人たちの事を考えよう。
誰かが生きたかった明日をちゃんと生きよう。

みたいな事だと思うんだけれども。

でもこれってさ、なんか違う話だと思うのさ。

いろんな事を自分の事さえも正当に評価できない様な人が、
どうやって他人の事故や不幸を慮れるのさ。

そんな余裕があったらそもそも自殺なんて考えないでしょ。

そんな事をどんなにアツく、強く説得しても、語ったとしても、
「そんなの関係ない。」って言われちゃえばそれまでで、
他人がどうなろうと知った事ではないと言われたら終わり。

こういったら身も蓋もないけれども、
他人は所詮他人であって、あんまり関係ないんだよね。

冷酷とか残忍とかそういうわけでもなく。
こればかりは仕方がない。

それ以上でも、それ以下でもない。

 

沖縄に来たついでに、ひめゆりの塔に行った。
広島の原爆ドームとかも色々感じたことがあったけれども、
ひめゆりの塔はまた違った角度から感じる事が多かった。

以前、なんだっけかな、カントとかニーチェとか
哲学の本を読み漁っている時だったっけかな。
こんな事を思った事があったんだ。

先人たちが、世界の人たちが作りあげたこの今という世界に、
のうのうと生き残るだけの価値が自分にはあるのだろうか。

自分という存在がちゃんと社会貢献出来ているだろうか。

誰かに必要とされ、誰かから頼りにされ、
胸を張って今日を生きるほど自分に意味があるんだろうか。

まぁ大小あれ、そういう事を考えた事がある人も多いと思うんだけれども。

 

戦争はすごいね、人がバッタンバッタン死ぬ。
一人とか二人じゃなくて、何百何千、何十万人と死ぬ。

ひめゆりの塔で見た資料でも、めちゃくちゃ死んでた。
網にかかったサンマかよってくらい、めちゃくちゃ死んでる。

約90日間の沖縄戦で日本人は18万人くらい亡くなっていて、
当時の沖縄住民の4人に1人が亡くなる様なものなんだって。

想像したらビビるよね。
自分の家族、友達、お世話になってる人、今日すれ違った人。
その中から4人に1人がいなくなる。

どんだけだよっていう。

 

生存した人の話でこういうのもあった。

自分の家は貧しくて満足のいく教育が受けられなかった。
だから生き残れた。

ちゃんと学校に行ったら当時の教育を受けちゃうから、
日本のために死ぬ、捕虜になるくらいなら自決しろという正義を叩き込まれる。

 

普通に考えたらむちゃくちゃな話だし、
現代でそれを受け入れられる人は稀有であって、
少なくとも俺はマジで超絶無理。

でもそれを受け入れて死んだ人がむっちゃくちゃいるという事実。

今、命の危険を全く感じる事なく、のうのうと日々を過ごせているのは
間違いなく、間違いなくむちゃくちゃな時代、戦争なんかを、
言葉通り命がけで過ごしてくれたおかげであって。

 

ひめゆりの塔。

今を生きれている事そのものに意味や価値を感じれて。

今のこの日本のために、世界のために、そして自分のために。
こんだけ悲惨な思いをして死んだ人がいるんだって事を知れるだけで
なんか生きる活力みたいなのが湧いてくるんじゃないかな、と。

おいおい、マジかよ、バチバチに悲惨じゃねーか。

たくさんの人が犠牲になったおかげで存在しているこの現代なので、
あんまりうまくできるかどうかわからないんですけれども、
とりあえず自分が出来る事をやって自分をちゃんと全うします。

なんか、本当にすみません、がんばります。

そんな気持ちになりました。

 

行った事ある人も多いと思うけれども、
人生一回くらいは行ってみた方がいいと思います。

中高生の修学旅行で行ったってのはそんなに意味がないと思う。

やっぱり身近な人から一人二人くらい亡くなる人が出てこないと、
死ぬっていう意味が実感わかないし、よく理解できない。

「あ、死ぬってこういう事なのね。」とわかってから行ってみると
むちゃくちゃ価値観変わると思います。

さぁ、今からレッツゴートゥーひめゆりの塔。



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