※アイキャッチ画像、なんか不安を煽るような画像になっちゃってごめんなさい。NanoBananaに画像生成を依頼したら、やたらにシリアスになっちゃった(笑)。内容はゆるいです。ご了承くださいませ。
かくいうわたしも炎上しがちなタイプです
SNSを見てるといろんな人がいるなぁって思いますよね。本当に良くも悪くもですが、価値観を広げるツール、いじわるな言い方をすれば「手軽な人間観察ツール」と割り切れば、これはこれで勉強になるなぁと思う昨今であります。
さて、わたし瀧澤克成、過去に2回ほど炎上した事がありまして(細かいのを入れればもっとあるけど笑)、バンドではお金が稼げないみたいなツイートを引用してあれこれ偉そうに御託を並べた時と、東京ドームのレッチリライブ、3曲目くらいで色々あって帰り、苦言を呈した時、いろんな人から怒られました。
あの時は「わしにはわしの道理があって、そんな事を言われる筋合いはねぇよ!!」と頭に来て、SNS上でみっともなく言い返したりしましたけれども、あの時はわたしの方も色々失礼な物言いをしてしまって、申し訳なかったなぁと反芻する現在であります。このブログは流石に見てないと思うけど、あの時気分を害させてしまった人、ごめんね。
「わたしは悪くないプライド」と「正しさを過度に求めるSNS」
なので、言ってみれば炎上する人の気持ちは多少なりともわかるのですよ。ポイントとしては「わたしは間違ってない」とか、「わたしは悪くない」とか、そういう事に固執している事なんじゃないかなと思います。
でもそれらは決して本人たちだけの問題でもなくて、SNS全体の雰囲気が問題の一部でもあると思うのですよ。「正しくなければいけない」みたいなそういう圧、というか、雰囲気というか。
例えばだけど、ちょっと前にわたしがXで「藤井風さんの曲作りは音楽理論の観点から見ても凄く天才的。米津さんとか髭男とかは力技過ぎる、悪く言えばちょっとデタラメに近い時があるけど、藤井さんはマジですげぇ」みたいな事を書いたらちょっと燃えて、「米津の事を悪くいう必要があるのか」とか、「他人を見下して物言いするのはどうなのか」みたいなコメントをちょいちょい頂いたりしまして。
言いたいことはわかる、言いたいことはわかるのよ。でも、意図しているのは、意識してほしいのは、伝えたいのはそこじゃないのよ。なのでちょいとイラッとして、なんか言い争いになっちゃう、みたいな。
別にそこは「へー、そうなんだ」、「なんかわからんけどそういうもんなんだー」でいいじゃない。なぜそこまでわたしに正しさを求めるのよ。気に入らなかったら「なんだこいつ、変な奴」で終わればいいじゃない。なぜ自分の中の正しさをわたしにも当てはめようとするのよ。みたいな気持ちが少なからず出ちゃうのよね。
これは、燃えてるサイドの方から見ると「価値観の強要」に見えてしまって、捉え方を誤ってしまうと、やっている事や価値観の否定、もっといえば人格の否定に見えてしまう時があったりするのですよね。誰だって「あなたのやっている事は間違っています」って言われたら、なんかイヤじゃない。それが全く知らない「あんた誰?」っていう人からだとなおさらチクッとくるのです。本当は「指摘」っていうのは結構センシティブな行為だと思うんだけど、「正しいことなら何をいってもOK」みたいな風潮があるような気がしませんか?
「その正義感は偽善だ!」とかそういう事をいいたい訳ではなく、「感情に任せて石を投げる前に、ちょいと深呼吸してこのコメントは相手にとってどう伝わるだろうか」ってのをお互いに振り返る必要があるよね、っていう意味で書いてるのですが、これもうまく伝わるだろうか。
人はだれもがダブルスタンダードですわよ
よく「あいつは言ってる事とやっている事が違う」という事で、ダブルスタンダードという言葉で揶揄されるけれども、そういう矛盾はどこにでもあるものだったりするし、そもそも捉え方次第でいかようにも解釈出来ると思うのです。これは決して開き直っているわけではなく、そういうものである事は前提にしないとこじれるんじゃないかしらっていう話。
例えばわたしは「わたしの行動は全て、誰かのためにやっている。自分のため、利己のためという時間の使い方はあまりしない。」という話をします。これはわたしの中では本当の事。ギターを弾いたり動画を作ったり料理をしたりするのは、誰かに喜んでもらいたいという気持ちが95%の原動力なのですよ。
けど、そんなわたしにだって「キライな人」や「苦手な人」は存在するし、「この人のためには頑張りたくねぇ」っていう人は当然存在する。そこだけを切り取って「言ってる事とやってる事が違うじゃないか」と指摘されても、それとこれは話が違う、となってしまうわけでして。
結局「正しくある事」には意味がない気がする
つまりは炎上している人にとっては「それが正しいこと」であって、周りの人にとっては「それが正しくないとする事が正しいこと」になってて、こじれあっているだけなんじゃないかなと思うわけです。結局、どっちの言い分もお互いにとって正しいから、折り合いがつかなくなっちゃう、みたいな。そう考えると「正しくあること」にもあんまり意味がないし、「正しさを求めること」にもあんまり意味がなかったりするんじゃないかなと思うわけです。
合わないなと思ったら、スルー。
キライだなと思ったら、スルー。
もう見たくないと思ったら、スルー。
もしそれでも何かを言いたくなったら、「正しさを求める」というよりも、シンプルに「こう思う、こう感じた」にとどめた方がよっぽど伝わる気がするのよね。これはわたしみたいに発信する側も留意すべき事であって、逆の立場からもまた然りなんじゃないかなぁ、とか思ったりしました。
結論、話の方向が「わたしは間違ってない」というプライドを守る方向になっちゃっている人には何を言っても意味がない。それよりも、「このコメントは相手にとってどう伝わるだろうか」って送信ボタンを押す前に一呼吸置く必要があるよねって思ったという事です。もちろんこれは自戒の念も含めてね。
せっかくだから楽しくSNSを使いたいよね
色々と偉そうに書いてしまいましたが、わたしもまだまだ修行中の身であります。でも人よりもSNSを使っていると思いますし、人並み以上にSNSをどう付き合えばいいかを考えていると思います。そんな中で思ったことをツラツラと書いてみて、もし「なるほどなー」と感じてもらえる事が少しでもあればいいなと思って書いてみた次第であります。あと自分で自分の考えを言語化してみたかったってのもありますが。
世界平和を一人で実現することは不可能な様に、SNSを楽しく使うためにはわたし一人の力ではなかなか難しい。けど、せっかく楽しい可能性を秘めたSNSなので、楽しく使っていきたいところですね。という事を言いたいのでした。
おわり。
これはちょっと余談。
個人的に「インフルエンサーなのに」とか「YouTuberなのに」とか、「ギターの先生やってるのに」みたいな、道理を求められる尾びれにとても息苦しい感じがします。なんかその言葉の裏には「傷つけてやろう」とか、「反省させてやろう」とか、言葉の攻撃力を増してやっつけてやろうみたいな思いを感じちゃうんですよね。どうなんだろう、これはわたしだけなのかしら。
自分は正しくて、相手が間違っているっていう前提がインストールされてしまうと、どうしても小馬鹿にしたり揶揄したりする言い方が出てくる気がするのよね。わたしも本当に気をつけなければと思う次第であります。




ウタイストカフェの予定、4月.Mayになってますけど、
間違ってるゾ!正しくなければ!というドヤ顔指摘で
私も炎上するんですね。火のないところに煙を立てて
コメントありがとうございます~!!
よくYouTubeであるのですが「◯◯◯が間違ってますよ」だけコメントもらったりするとグサッと来ますね。それが「これは良い動画が出来た!!みんな楽しんでくれるかな。」と思いが強いほど、「うおおお、感想、それだけかぁ。。。」とショックを受けます(笑)。